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心の保ち方。 [日記]

今朝の読売新聞に、精神科医で作家である
春日武彦さんという方の手記が載ってた。
精神科のお医者さんの言うことは心にしみた。
被災した人も被災してない人も これを読めば多分少し楽になれる。
見ながら打ったので間違ってたらごめんなさい。
あと勝手に転載してごめんなさい。
見出しは「震災どう乗り越える」と「委縮せず日常の営みを」だった。
以下。

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 震災がまた生じるかもしれない、心配だから普段よりも余分に薬を出して欲しいと希望する患者さんが何人もいた。実際に被災しなくとも、不安はさまざまな形で生じる。リアルなものも、突飛なものも、不安であることに変わりはない。
 災害が発生した直後は、次々と起こる事態へ対処することに追われる。非日常的な状況に気分も緊迫する。だが2週間も経てば次第に現実が身も蓋もなく立ち現れ、疲労も重なっていく。ひとまず助かった安堵感も、生活の根幹が、そして大切な人が失われた事実に取って代わられ、喪失感と未来への不安感に覆われる。感情を存分に発露できるならばまだいい。内向した苦しみは、精神から柔軟性を奪っていく。

   *   *  

 どう乗り越えていけばいいのか。被災者にとっては、周囲に自分の話を聞いてくれる人のいることが重要となってくる。それぞれの人に降りかかった体験を消し去ることはできないし、失われたものは戻ってこない。だが心のわだかまりや悔しさ、つらさを他人と共有し、希釈することはできる。精神的な危機に陥るのは、孤独な状態で思い詰めてしまうときだ。真剣に耳を傾けてもらえるだけでいい。「良い聞き手」には、気の利いた慰めや上手いアドバイスは必要ない。
 テレビで震災報道を見ている側の人間も、次第に自分の周辺に生々しさを覚えていく。余震も繰り返され、原子力発電所の事故も恐ろしい。店の棚から商品が無くなり停電が続けばつい不安を募らせ、そんな自分に自己嫌悪を抱いたりもする。
 この鬱々と重苦しい毎日を、いきなり晴れ渡った気分で満たす方策はない。だが、うな垂れる必要もない。被災地から隔たった場所に住む人間は、誠実さや活力が他人へ伝搬し得るという事実を思い出そう。
 他人を思いやることと、過剰な自主規制や自粛とは直結しない。被害を受けずに済んだ者が何かを楽しんでも、それが「不謹慎」ということになってしまえば心は委縮しかねない。他人の顔色を窺うような態度は、誰も救えない。

   *   *

 震災報道一色でであったテレビにも、次第にドラマやバラエティー番組が多くなってきた。悲しみや不安と、好奇心や笑いとは共存するのである。人間は、矛盾した感情をも同時に心へ抱え込めるところに、豊かさがあり可能性がある。被災者の存在を胸の内に置きつつ、背筋を伸ばして日常を営んでいくことが大切だろう。

 

 

 


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